「おい、忍足。」


誰かが俺を呼んでいる。


「忍足、時間だぞ。起きろよ。」


ペチッと頬を叩かれて、仕方なく目を開ける。


「おはよう、ってかもう昼だけどな。ホラ、早くそこどけ。俺の番だ。」


「・・・・・ん・・・・木村?」


「はいはい、木村ですよ、寝ぼすけ野郎。俺は眠いんだよ、早く退いてくれ、1時間しかないんだ。」


だんだんと状況がつかめてくる。


「えっと・・・もしかして、寝過ごした?」


俺は身体を起こして辺りを見回した。


目的のものが無い・・・。


どこ置いたんやろ。


「きっちり30分ジャストで起こしてやったぞ、感謝しろ。」


木村が白衣を近くのテーブルに放り投げた。


カシャンと何かが落ちる音がする。


「あ、ワリ。コレお前の眼鏡か?」


「あぁ、そこに置いてたんや。」


木村が差し出した眼鏡を受け取り、掛けながらベッドを降りる。


入れ替わるようにして木村がベッドに入った。


「自分はこれから仮眠?」


ハンガーに掛けておいた白衣を取って羽織る。


「やっと一段落ついたんだ。忍足、1時間したら起こしてくれ。」


「一時間、な。了解。ほなまた、起こしに来るわ。」


「頼んだ・・・・。」


よっぽど疲れとるんやろう、木村は一瞬にして眠りに落ちた。


「ほな、俺は仕事に戻りますかね。」


仮眠室のドアをそっと閉めて、長い廊下を歩き始めた。


まだ少し頭がボーっとしているが、まぁすぐに元に戻るやろ。


もう、慣れたもんや。


「あ、忍足先生、無事に夢から覚められましたか。」


声がしたほうに目をやる。


「あ、婦長。何とか戻ってこられました。」


俺の言葉に婦長がクスクスと笑う。


「私が頼まれていたので、起こしに行こうと思っていたんですが、ちょうど木村先生が仮眠をとられると言う事だったので頼んでおいたんですよ。」


「あぁ、そうやったんですか。」


「それで、409号室の患者さんのことなんですが・・。」


「あれから、どないですか?」


「今のところは変わったことはありません。ですが、少しこの数値が気になりますね。」


差し出された検査結果に目を通す。


「そうですね、まぁもう少し様子を見てみましょう。それでも変わらずこのまんまやったら、何か処置を考えます。ってことで。」


「分かりました。忍足先生今のうちにお昼でも食べてこられたらいかがですか?何かありましたら連絡しますから。」


「いや、でも・・。」


「朝ご飯も食べられてないんでしょう?」


ニッコリと笑った婦長。


かなわへん。


「じゃあ、お言葉に甘えさせていただきます。」



















御昼時ともあって、院内食堂は人で溢れ返っていた。


「あかんなぁ・・・座る所あるんか?これ。」


トレーの上でカレーとうどんがおいしそうに湯気を上げているって言うのに、しばらくはありつけそうに無い。


しかたなく、席と席の間をウロウロと彷徨う。


「あれ・・・忍足さん?」


ふと聞こえてきた声に足を止めて振り返る。


と、そこにはきょとんとこちらを見つめている一人の男が居た。


ちょっとくせのある茶髪を今風にセットしていて、それがまたよく似合っている。


中々のイケメンやん。


「あぁ、やっぱり、そうだ。忍足さんですよね?」


まじまじと見つめてみたが、全く見覚えが無い。


でも、確実に向こうはこちらを知っている。


誰や?こいつ。


疑問の表情で見つめていると、男は苦笑いを浮かべて立ち上がった。


「分かりません?俺、切原です。立海大付属の。」


トレーを落とすかと思った。


この、イケメンくんがあの、生意気切原?


「あ、思い出してもらえたみたいですね。久しぶりです。」


笑顔で差し出された手を、半ば放心状態のまま握り返した。


「あぁ、久しぶりやな・・・っていうか変わったな自分。一瞬分からんかったわ。」


「俺も、随分髪型が変わってたから一瞬見間違いかと。でも、相変わらず眼鏡、掛けてるんですね。それで。」


あぁ、何かもう違和感だらけや。


めっちゃ、やりづらい。


ってか腹減った・・・。


「あぁ、これは本当に視力落ちたんや。あー、切原、とりあえず隣、座ってもえぇか?あんまり時間ないんや。」


「あ、どうぞ。」


座って、俺はとりあえず食べ始める。


切原も途中だったラーメンを食べ始める。


うどんを食べ終えた所で、決心して話し掛けた。


「ところで、今日は見舞いかなんかか?」


とっくに食べ終えて水を飲んでいた切原は、コップを置いてこちらを向いた。


「あ、はい。ここの5階にちょっと。」


5階・・・ってことは形成外科か。


「自分、今何してるん?」


「あぁ、仕事ですか?スクールのコーチやってます。」


「テニスか?」


俺の問いに切原が小さく笑う。


「それ以外、取り柄ありませんから。忍足さんこそ、いつから東京に戻ってきてたんですか?」


「ん・・・大学出てからやな。」


「そっか・・・。急に大阪に引っ越したって聞いた時は、驚きましたよ、ホントに。」


「ま、色々あったんや・・・・っと。」


ポケットの携帯が振動している。


「ちょお、悪い。」


取り出して画面を見ると、アラームだった。


何のアラームや?


「・・・・っヤバ。悪い切原戻らなあかんわ。」


木村を起こす約束やった!!


急いで残りのカレーを頬張り、トレーを持って立ち上がろうとすると、切原が腕を掴んできた。


「トレー片付けときますよ。それと、あと一つだけ。」


「なんや?」


急に真剣な表情になった切原に少し戸惑う。


「今度、千石さんが結婚するんですけど・・・知ってますか?」


「え?千石が結婚するて・・・だって自分らは。」


切原が悲し気に微笑んだ。


その瞬間、何もかもを理解した。


「多分、忍足さんにも招待状行ってると思うんですけど・・・引っ越したの知らないのかな。」


「あ、あぁ、そうかもしれへんな。実家に届いてないか聞いてみるわ。」


戸惑いながらも何とか答える。


テーブルに置かれていたナプキンを一枚取り、ポケットに挿していたペンで携帯の番号を書き綴った。


「切原、詳しい話はまた今度や。これ、渡しておくから、また、掛けてや。」


それだけ言って、俺はその場を立ち去った。


何であんな事言ってしまったんやろうか。


切原なんて名前を知ってるぐらいで、喋った事なんて無かったはずや。


なのに、放って置けんかった。


でもそれは、切原の事を思ってやない。


俺にも思い当たる事があったからや。


俺の知らない間に、色々起こってる。


もしかして・・・・あいつも巻き込まれてるんやろうか。


いつまでも、待っていてくれると言ったあいつは、きっと。


今回のことで何かしら思う所があるだろう。


あいつは千石のこと、完全に忘れてなかったから。









俺は一体何をしてたんや。


あいつ一人置いてけぼりにして。


自分の事ばっかり大事で。


何にも考えてなんかなかったんやないか。

















逃げるのも・・・潮時なんかもしれへん。


















俺はもう、あの時とは違う。





きっと皆あの時とは違う。





弱虫の俺は・・・まだ少し残ってるみたいやけど。






それでも、今はあいつの側にいてやりたい。








なぁ、まだ俺のこと待ってくれてる?