「せんせっお待たせ!」


がらっとドアを開け、律朗が入ってくる。


「さてさて、早く出てくださいよ。鍵閉めちゃいますから。・・・あ、荷物そこに持って来ときましたから。」


「有難うございます。」


俺はベッドの横に置かれていたテニスバッグを取り、保健室を出た。


「じゃ、さよなら、芹澤先生!」


「はい、さようなら、気をつけて。」


「あの、お世話になりました。」


「・・・お大事に。」


俺と律朗は一足先に保健室を後にして、玄関へ続く長い廊下を歩き始めた。


「悪かったな。なんかこんな時間まで。」


俺が謝ると、隣で律朗が表情を曇らせた。


「俺こそ、ごめん。そこまで体調悪いだなんて気付かなかったからさ。なんか、酷い事言っちゃって。」


「それこそ、別にいいよ。気にしてない。」


「・・・ホント?」


律朗が不安げに聞いてくる。


俺よりずい分背の高いはずの律朗が何だかちょっと小さく見えた。


「だから、もう良いって言ってんの。あ、それよりさ、なんか奢らせろよ。お礼に。」


律朗はちょっと考えた後、笑顔になった。


「俺、前から食べたかったものがあるんだよね。」


「何?」


「まぁまぁ、着いてのお楽しみってことで。」


「・・・・言っとくけど、高価なものは奢らないぞ。貧乏なんだ。」


律朗が楽しそうに笑った。


こういう所を見るとまだ、子どもなんだなって思う。


そして、俺たちは学校を出た。


「んで?結局どこ行くんだよ。」


「あっちー。」


律朗が指差したのはちょっとした住宅街で。


「へぇ、ここら辺通るの久々だなぁ。」


俺の思い出の場所でもあった。


でも、こんな所に食べ物屋とかあったっけなぁ。


やっぱ、年月が経ってるから、色々変わってんのかも。


「せんせ、こっち。」


「んー?」


律朗はどんどん奥のほうへ入っていく。


「あれ、ここら辺って・・。」


「来たことある?あ、そっか、せんせもうちに通ってたんだもんね。」


「まぁな。」


「氷帝最強時代。あの、跡部さんとかいた時だろ?ホントにせんせ、うちの部でレギュラーだったの?」


「ホントにホント。正レギュラーだぜ。」


「ふーん。凄かったんだね。あ、あれあれ。」


律朗が何かを見つけて駆け寄っていく。


「せんせ!俺これ食べたい。」


「・・・・あぁ、たこ焼き。」


たこ焼きの屋台がぽつんとそこにあった。


気難しそうなおじさんがせっせとたこ焼きを焼いている。


「いいぜ、頼めよ。あ、俺の分もな。」


俺の許しが出ると、律朗がさっそくおじさんに声をかけた。


「たこ焼き3つ下さい!ソース多めで。」


ん?


「・・・何で3つ?」


俺の分と律朗の分。


「2つだろ。」


すると、おじさんから3つたこ焼きを受け取りながら、律朗はにかっと笑った。


「俺が2つで、せんせが1つ。3つであってるよ。あ、おじさん、ありがとう。」


律朗がさっさと店の前を離れ歩き出す。


「450円です。」


おじさんが低い声でこっちを見て言った。


「・・・あ、はい。450円。」


何となくビビリながらお金を渡す。


「ありがとうございました。」


おじさんは最後まで無表情だった。


俺は急いでその場を離れた。


「こっちこっち。」


律朗は近くの小さな公園の入り口に立っていた。


「ここで食べようよ。中、ベンチとかあるしさ。」


「・・・・ここ。」


「なに?」


律朗が振り返る。


「いや、何でもない。さっさと食おうぜ。温かいうちに。」


入ってすぐのベンチに並んで座った。


たこ焼きのパックを一つ受け取って、開いた。


ソースのいい匂いが食欲を刺激する。


「うまい。やっぱ、買い食いって最高だよなー。」


律朗が呟いた。


「そうだな。」


俺も素直に頷く。


「俺さ、一度でいいからあの店でたこ焼き買って、この公園で食べてみたかったんだよねー。」


「したことね―の?買い食い。」


正直驚きだった。


律朗は友達に好かれるタイプだから、帰り道とか仲良く買い食いとか普通だと思ってたし。


「んー、買い食いは初めてじゃないけど、でもあんましたこと無い。ほら、うちの部活特に熱心だから帰るの遅いじゃん。しかも、みんな坊ちゃんだから車の向かえとかあるし。」


律朗がたこ焼きを一つ頬張った。


「・・・それに比べて俺って庶民だからさ、こうやって歩いたり、チャリだったり、電車だったり。まぁ、色々探検できるじゃん。でも、さすがに一人じゃ買い食いしたってつまんねーし。」


「・・・そっか。うん、そりゃよく分かるよ。俺もそうだったし。」


「そーなの?」


「お前、俺が坊ちゃんに見えるか?」


「・・・・見えない。」


即答された。


いや、まぁ別にいいけどさ。


「だろ?」


「んじゃさ、せんせもあんまり買い食いとかしなかったんだ?」


「いや、俺は結構した。それで思い出したんだけど、昔もあの屋台あったぞ。」


同じおじさんがしてたかどうかまでは思い出せないけど。


「へぇ。じゃぁもしかして、ここで食べたとか?」


「うん、ここで食べたな。何か買ってこの公園で食べる。それがお決まりのルートだった。」


だんだん、思い出が蘇ってくる。


「誰と?」


そう、いつも隣に誰かいた。


僅かしかない放課後の時間。


それだけが唯一の楽しみで。


待ち遠しかった。


「・・・・・何で、忘れてたんだろう。」


この公園で色んな話をしたり、遊具で遊んでみたり。


バカみたいだけど、楽しかった。


「岳人せんせ?」


「俺の、」


大切な人。


「・・・ごめん、何か俺変なこと聞いちゃった?」


律朗が心配そうに俺の顔を覗き込んできた。


何もいえなかった。


律朗はしばらく俺の横に黙って座っていたが、沈黙に耐えられなくなったのか、勢いよく立ち上がった。


「ねぇ、せんせ、遊ぼうよ。」


そして、一つの場所を指差した。


「俺、昔から砂遊び大好きでさ。お城とか、結構作るの上手かったんだぜ?」


律朗が強引に俺の手を引いて砂場まで連れて行く。


律朗は砂場につくとしゃがみ込んで、砂を手でいじり始めた。


「そうだな、まずはぁ・・・・・。」


俺はただそれを見下ろしてるだけで、何も出来なかった。


ただ、ただ、立ち尽くしているだけだった。





『岳人、あそぼや。』


あいつはそう言うと必ず砂場に向かった。


『お城作ろや。でっかいやつ。』


ああ見えて、結構子どもな遊びが好きだった。







「せんせ?もしかして、また気分悪い?」


律朗が何もいわない俺に気付いて、手を休めて俺を見上げる。


「ゆ・・・・し。」


「え?」


いつも俺の横にいたのは。


「・・・・・侑士。」









『なぁ、岳人、中々こういうデートもええよなぁ。俺ら庶民には。』


そう言って、いつも笑ってた。






涙が出た。


悲しいのか、何なのか。


分からないけど。


だけど、一つだけ、一つだけはハッキリしてた。


「ちょ、せんせ、どしたの!?何で泣くんだよ?」


「俺・・・なんてこと。」


こんなにも、たくさん。


幸せを貰ってたのに。


全部忘れてただなんて。


忘れようとしてたなんて。


「侑士・・・謝らなきゃ。」


たとえ、壊れてしまう運命だったとしても。


あの瞬間は、本物だった。


あの時感じた幸せは、確かに俺を支えていた。


それで、いいじゃないか。


何でもっと早く気がつかなかったんだろう。





「・・・・岳人、せんせ。」


律朗が悲しげな声で呟いた。


俺は涙を拭いて、笑顔を律朗に向けた。


「でっかい城、作ろうぜ。」


もう、逃げてばかりじゃいられない。


前に、進まないと。


俺も。


そして、あいつも。