目を覚ますと、誰かが俺を覗き込んでいるのが分かった。


だけど、目がまだ光になれていないせいか、その姿がはっきりと掴めないでいた。


仕方ないので、しばらくそのままボーっとその姿を眺めていると、ふいに額に心地よい冷たさを感じる。


「清純、大丈夫?」


俺が、その冷たさが人の手のせいだと気付くのと同時に声が聞こえてきた。


「・・・・・・・麻美?」


何となく頭に浮かんだ名前を呟いてみると、額に置かれていた掌がすっと頬に移動してくる。


「痛っ・・。」


つねられた。


「麻美って誰よ、前カノ?悪いけど、私の名前は麻子よ!婚約者の名前を間違えるなんて、いい度胸ね。」


「・・・・・婚約者?」


一瞬考えて、すべてを理解する。


眠りの世界から、一気に現実に引き戻された気分だ。


すると、相手の姿もはっきりと見えてくる。



パジャマ姿の女性が俺のベッドの横に立っていた。


「うわっ、ごめん、麻子!俺寝ぼけてて・・・・・ってあれ、麻子・・・・?・・・・麻子って麻子だっけ・・・あれ?」


俺はまだ、夢見てるのだろうか・・・。


だって、俺の記憶違いじゃなかったら・・・・。


「やっぱり・・・・麻美だろ。」


麻美が一気に吹きだした。


そして、声を出して笑う。


「・・・・冗談やめろよ。もうすこしで信じる所だっただろ!?」


ツボにはまったのか麻美はずっと笑いつづけている。


呼吸するのも苦しそうだ。


「・・・ごめん、清純がホントに寝ぼけた顔してたから・・。つい、ね。」


「つい、って・・。俺そんなに寝ぼけてた?」


「うん、かなりね。・・・・ってそれはどうでもいいんだけど、大丈夫?」


麻美が笑いを止め、真顔になる。


「・・・なにが?」


「清純、うなされてた。・・・まぁ、うなされてたってよりは悲しんでた?」


麻美の冷たい手が、俺の頬をさわった。


「泣いてる。」


麻美はベッドサイドのティッシュを取り、俺の顔を優しくぬぐった。


俺は、さっきまで見ていた夢のことを思い出す。


はたして、あれは泣くような夢なのだろうか。


悲しい、といえるようなものだったか。


「うーん、夢のせいかなぁ。」


「なによ、そのあいまいな返事。」


「ごめん、覚えてないや。ほら、夢って見たって事は覚えてても、その内容とか覚えてないこと多いじゃん。そんな感じ。」


「ふーん、そっか。」


嘘をついた。


何でかは分からないけど、言えなかった。


訳の分からない後ろめたさがあった。


こんな時にあの頃の夢を見るなんて、どうかしてる。


「でもきっと、ものすごくつらい夢だったんだね。」


麻美は静かにそう言うと、ひとつあくびをした。


俺は体を起こし、ベッドサイドに置いてある時計を見る。


時刻は3時27分。


もちろん、まだ太陽が顔を出していない方の時間だ。


「・・・・げ、ごめん。もしかして起こした?」


「ううん、私もちょうど目が覚めちゃったところだったから。」


そう言いつつも、表情は眠そうだ。


「ごめん、もう大丈夫だから。寝なよ、明日も色々やることあるんだろ?」


「そうね、そうする。何かあったら、すぐ横にいるんだから、起こしてよ?」


麻美が隣のベッドに入る。


「おやすみ。」


俺はベッドを出ながら声をかけた。


「おやすみ・・・って清純寝ないの?」


麻美が慌てたように言う。


「うん、目、さえちゃったしベランダでしばらく風にでも当たってくる。」


「・・・そ。じゃ、何かはおっていきなよ。風邪引かないように。」


「うん、そうするよ。」


「じゃあ、ほどほどにね。おやすみ。」


麻美が寝たのを確認してから、ベランダへ向かう。


窓を開けると、冷たい風が頬をかすめる。


外に出た後、部屋に風が入り込まないように窓を閉めた。


羽織ったジャケットのポケットからタバコの箱をだし、一本くわえた。


火をつけようとポケットを探ったが、どこにもライターは見当たらなかった。


「・・・・めんどくさ。」


もう一度部屋に戻るのも嫌になって、くわえていたタバコを握りつぶした。


することがなくなったので、とりあえず空を見上げてみる。


夜明けが近いせいか、星はあんまり見えない。


こんな風に静かで、ヒマだと、考えなくてもよいことを考えてしまいそうになる。


例えば、何故今更あの夢を見たのか、とか。


あの夢は頻繁に見ていた。


彼と離れてからずっと。


忘れていても、あの夢のせいでまた、思い出させられる。


そんな繰り返しだった。


けど、最近はめっきり現れなくなっていたので、油断してた。


まさか、こんな幸せの絶頂期にやってくるとは。


「だだだだーんって感じ?」


懐かしいフレーズを一人呟いてみる。


すぐに後悔した。


俺のキャラじゃないな。


「・・・ってかこの年でこれはないか。」


一人で小さく笑った。


でも、またすぐに夢のことが思い浮かんで笑えなくなる。


油断しすぎて、泣いちゃったじゃないか。


「情緒不安定なのかなぁ・・・俺ってば。・・まさかマリッジブルー??」


男のマリッジブルーってちょっと情けないぞ。


・・・・・でもま、俺に限ってそりゃないか。


大人になったな、俺も。


『大人』になっちゃったんだよね。


分かってる。


何であんな夢を見たのか。


それは、一通のハガキ。


結婚式の案内状の返事。


出席にも欠席にも丸はつけられていなかった。


けれど、書きなぐったような、そんな字で一言書かれていた。



























『あの日の言葉の意味、分かってもらえましたか?』って。
































うん、そうだね。


君の言ったことは正しかったよ、切原君。


俺は『大人』になってしまったんだ。


ただ、年をとったって事じゃない。


もう、うかつに涙も流せないような、そんな世界に来てしまった。


傷つくことが分かっていながらも、幸せを求められるような、そんな『こども』の時間は終わってしまったんだ。


いや、終わらせたんだ、俺自身が。


キミはそういうことが言いたかったんだよね。


俺にはキミとの幸せだけを選べるような強さは無いって、気がついてたんだよね。


だから、『その時』が来た時、俺が迷わずキミとの別れを選べるように、ああやって言ってくれてたんだね。


ホント、どこまでキミはいいやつだったんだ。


そんなにしたって、結局何も得ることは出来なかったのに。


「バカだなぁ・・。」


・・・・俺も、か。















少しずつ空が明るくなってくる。


新聞配達のバイクの音が聞こえ始めた。


そのときになって初めて、タバコを握りつぶしたままだったことに気がついて、手を開く。


粉々になったそれを見て、何だか物悲しくなる。


もう、もどれない。


そう気付いてしまえば楽になるのに、出来ないでいる。


そんな俺は本当に『大人』ですか?


無性に彼に会って問いただしてみたくなった。


切原君、俺は『大人』ですか?


キミはまだ『あのときのまま』ですか?












おれはいったいどうすればいいのですか