できれば、気付きたくなかった。

優しい彼の、優しい嘘。

いつもみたいに笑って、いつもみたいに話す、

そんな彼がふいに振り向いた。

そして、気付いてしまった。

思えばいつだって彼はあんな目をしていた気がする。

でももう、今までのように誤魔化さない。

知らん振りなんてしない。

そう、思ったんだ。













振り向いた瞳が















真っ白な壁が続く病院の中。

俺はがいる処置室よりもずっと遠くにあるベンチに座ってた。

処置室には恐くて、近づけなかった。

何だかまだ、夢の中にいるような気がしてて、ボーっと天井を見ていた。

隣に座っている亜久津がたまに声をかけてくれる。

俺はそれにあぁ、とか、うん、とか返事になってない返事を返していた。

が今どんな状況にいるか、という事については二人とも何ひとつ触れる事はなかった。

俺はただ、祈るように目を閉じていて、亜久津はどこか遠くをみてるみたいだった。






「仁。」

沈黙のまま時間がかなり過ぎた頃、俺たちが座ってるベンチに誰かが近づいてきた。

俺は目を開いてその姿を確認する。

病院に着いてからすぐに処置室に入っていった優紀ちゃんだった。

「・・・・は。」

亜久津がここに来て初めての名前を口にする。

いつもの亜久津からは考えられないほど、とても静かで、落ち着いた声だった。

「今終わった所。ひとまずは大丈夫よ。」

優紀ちゃんは亜久津の方ではなく、俺のほうを向いてにっこりと笑った。

「・・・・そうか。」

亜久津がおもむろに立ち上がる。

「あいつの荷物、持ってくる。」

優紀ちゃんにそう言って出口に向かって歩いていってしまった。

そこに残された俺は何となく気まずい感じがして、下を向く。

さっき亜久津が座っていた場所に、優紀ちゃんが座った。

「あなたが千石君ね?さっきはバタバタしてて自己紹介できなかったわね、仁の母の優紀です。優紀って呼んでね。」

優紀ちゃんはとても優しく澄んだ声をしていた。

俺はその声に惹かれるように顔を上げる。

「何で、俺の事・・・。」

くんがあなたの話、色々してくれてたの。だからね。」

が・・・?」

「えぇ、あなたの話をしてるくんは、とても楽しそうで、いつの間にか私もあなたのファンになっちゃったぐらい。」

「・・・・あ、りがとうございます・・。」

優紀ちゃんが俺の手を取って優しく撫でた。

「もう、大丈夫だから。恐かったでしょう?もう、大丈夫よ、心配ないわ。」

優紀ちゃんの掌から俺の掌に温もりが伝わってきて、不覚にも涙が出た。

何故だか分からないけど、止まらなかった。

「・・・・・何でっ、何では・・・。」

優紀ちゃんの手をきつく握って、俺は聞いた。

優紀ちゃんが優しく握り返してくれる。

「まだ、何も聞いてないのよね。このまま、何も知らない方がいいのかもしれない。
けど、それでも聞きたいって思うのなら、くんに聞きなさい。そのほうが良いわ。」

俺は優紀ちゃんの手を離して、涙を拭いた。

優紀ちゃんが真剣な顔でこっちを見ている。

「私が言えるのは、一つだけよ。・・・・・あの子を、愛してあげて。」

「愛してあげる・・・?」

「あの子はとても繊細で、不安定だわ。なのに、なんでも一人で背負い込もうとするの。
私も仁もどうにかして力になりたいって思ってたけど、ダメだった。」

優紀ちゃんが悲しげに笑った。

「あなたならできると思うの、千石君。あの子にはもう、あなたしかいないの。」

「どういうこと・・・。」

俺が優紀ちゃんに問いかけようとしたとき、パタパタと足音をさせて看護婦さんがやってきた。

「亜久津さん、くんが目を覚まされました。」

「・・・千石君、行きましょう。」

俺は歩き出した優紀ちゃんの後ろをついていった。

に会えるのは嬉しいはずなのに、何故か足取りが重かった。

たぶん、この先に何が待っているのか、気付き始めていたからかもしれない。













病室はたくさんの機械が置かれていて、その中にはいた。

くん、分かる?優紀よ。」

優紀ちゃんの声に目だけを動かしては静かにゆっくりと口を開いた。

「・・・・ごめんね。」

その一言に優紀ちゃんが少し暗い顔をした。

「そんな事言わないでって、いつも言ってるでしょ。」

聖がふっと力なく笑ったような気がした。

笑った、と言っても伝わってくるのは辛い、悲しいっていう感情だけだったけど。

くん、千石くんが来てくれてるのよ。」

がまた、目線だけこっちに向ける。

俺と目が合った途端、今度は本当に悲しそうな顔をした。

「・・・・来ちゃったんだ。」

俺は一生懸命笑顔を作った。

多分、には嘘だってばれるだろうけど、でもそうせずにはいられなかった。

「うん、の一大事に駆けつけるのは当たり前でしょ?」

「・・・・優紀ちゃん、ちょっとだけ良いかな。」

「えぇ、分かったわ。私、先生の所へ行ってくるわね。千石くん、あと宜しくね。」

優紀ちゃんが病室から出て行った。

「・・・・座れよ。」

「えっ、あぁうん。」

俺は急いでベッドの隣の椅子に座った。

そのまましばらく黙ったまま見つめあう。

が先に口を開いた。

「・・・・全部聞いちゃった?」

「何も、聞いてないよ。聞こうと思ったけど、に聞きなさいって言われちゃった。」

「そっか。うん、そうだね。オレが話すのが一番なんだよね。」

が視線を俺とは反対の方へ向ける。

そして、小さく一つため息を漏らした。

「・・・・・死ぬんだ。」

「え・・・?」

航の声はとても小さくて、聞き取るのが精一杯だった。

「オレさ、死ぬんだ、もうすぐ。不治の病ってやつ。」

は淡々と話した。

俺は混乱してて、いまいち言葉が理解できなかった。

「中1になってすぐの時に、オレ倒れたんだ。それで、検査したら病気だってわかって。
しかも、もう手の施し様がないって言われちゃってさ。」

・・・」

「それ以来、入退院の繰り返し。この間も、検査したらあんま結果良くなくて、即入院。
今日やっと仮退院できたと思ったらコレだ。ホントもう、嫌になるよ。」

「この間って、もしかして優紀ちゃんとデートとか言ってた日?」

確かあの日からは学校に来なくなった。

思い当たるのはあの日しかない。

「そうそう、デートとかいったけど、あれ嘘。まぁ、病院デートって言えばそうなんだけど。」

全てのつじつまが合ってきた。

の言葉も、亜久津の悲しげな表情も、全て分かってたからだ。

俺は何かに声をかけようと考えたけど、何にも思いつかなかった。









そうやって俺がしばらく黙っていると、クスクスとが笑い始めた。

「・・・・?」

「ゴメンゴメン。あんまりにも清純が信じちゃってるからさ、おかしくって。」

「どういうことだよ。」

「ゴメン、嘘。全部嘘だから。清純が柄にも無く深刻な顔してるから、
ちょっとからかってやりたくなっちゃってさ。ホントゴメン。」

頭が真っ白になった。

騙された事への怒りよりも、全部が嘘だと言う事への安堵の方が強かった。

「・・・もう、ビックリしちゃったじゃん。やめてよー。らしくもな・・・・・。」

言いかけて、そこで気が付いた。

がまだ、こっちを見てくれてない。

さっきから目線を逸らしたままだったけど、今は顔自体を向こうに向けたまま。

クスクスと聞こえてた声も今は無い。











ふいに、今日の屋上での事がよみがえる。

は笑ってた。

俺がドアを出るまで、ずっと笑ってた。

だけど、その後は泣いていた。

一人で静かに泣いてた。





もしかしたら、今もそうなのかもしれない。

俺に気付かれないようにしてるのかもしれない。

俺がいなくなった後、泣くのかもしれない。










どうするんだ、俺。

またあの時みたいに逃げるのか?

笑ってやり過ごすのか?

自分が安全な場所にいられたら、それで良いのか?



























「良いわけ無い・・・。」
























「・・・え?」




が俺の呟きに反応して振り返った。

その後はっと気がついてまた向こうに顔を向けようとする。

、俺が動体視力良いの知ってるよね。」

俺はベッドに近づき、 の顔を手で自分のほうへ向けた。



一瞬だったけど、俺にはちゃんと見えた。



の表情。



まるで何かに怯えるような、不安げな瞳。




「もう、やめようよ。嘘とか、偽りとか、全部。俺も、もう逃げない。」




が目を見開いて、その後、一粒の涙を流した。

「愛してるんだよ。の事。だから、全部受け止めたい。
それって、間違ってるかな。」

俺は溢れ出したの涙を指先でそっと拭いた。

が少し首を横に振った。

、今までゴメンね。俺、臆病だったから。でも、もう逃げないからね。」

「・・・清純。」

が小さな声で俺を呼ぶ。

俺はそれに応える代わりにの頬に軽くキスをした。

が少しだけ笑って、そっと目を閉じた。

今度は唇にキスをする。

そしてを軽く抱きしめた。



とてもとても細い身体。



だけど、こんなにも温かい。







この人を守ろうと、俺は誓った。













もう、彼さえいれば後はどうなっても良いと、

あの日、本当にそう思った。


ただ、彼のためだけに生きようと、

そうする事ができるのだと、

バカみたいに信じてたんだ。


何のために彼が嘘をついていたかなんて、

そんな事一つも考えなかった。


終わりはいつか必ず訪れるものだと言う事から、

目を逸らしたかったのかもしれない。


彼は全て知っていたんだろう。


彼の嘘はそのためのものだったから。